30歳からのハロー中国(チャイナ)

30代からでも始まっちゃう半海外移住、中国生活

結果が失敗してでも海外就労トライアルをしてよかったなと感じるのはなぜか

帰国した僕はある無味乾燥なウェブの周縁領域に潜り込み、糊口をと世間の目をしのぐことにした。日本で仕事をするうちに3年が過ぎて、30代になった。

中国との関係は? 研究から離れた瞬間にそのテーマと完全に没交渉になった大学院の時と違って、今回は一度離れたとはいえ中国とのつながりをなくしていない。サンクコストという考え方は確かにあるので、どこまで正しいかは分からないが、失敗したからといってすぐに撤退し、繋がりを断ってしまうと、本当に何も残らないからだ。失敗を踏まえてでも継続したほうが、何か可能性を感じられる。

帰国してから3年間、何をしていたか

創業期の企業だったので比較的自由がきいたという点を除けば、当たり障りのないサラリーマン生活を送っていたのだが、とにかく「次の機会」のことを考えて行動していた。例えば以下のように。

 前回は中国語能力が低すぎてしんどかった
→これは端的に中国語をレベルアップする。

 前回は孤立してしんどかった
→「日本人の友達を作る」という安易なソリューションではなく、「中国語でストレスなくコミュニケーションできるようにして、日本人以外の領域で人間関係欲求を満たせるようにする」方針で頑張る。具体的に中国人コミュニティにどう入り込むかは現在進行中の課題ではある。

 前回は仕事が出来な過ぎてしんどかった
→なんの変哲もないが、仕事にある程度の熱意で打ち込んで評価されてみる。

中国語のレベルアップ

27歳の時の中国語レベルはHSKの3級ぐらいだったと思う。大学でちょっと履修したこともあり、完全な初心者ではなかった。ただ、そのレベルでは現地での生活には全く役に立たない。個人的に試験にドライブされるタイプなので、とりあえずHSK6級で得点率7割以上を目指した。
サラリーマン生活と並行しながらの勉強法は具体的にまた別にまとめたいなと思っているが、

中国のテレビアプリ(土豆,优酷,爱奇艺など)を利用する

中国のテレビ番組は国外番組はもちろん、国内向けの番組にも中国語字幕がついているものが多い。中国国内での言語・方言の幅広さによるものだが、これは外国語として学習している人にとっても役に立つ(ある程度のレベル以上になると逆に邪魔になりそうだが、HSKを受けるぐらいのレベルの範囲であればおおむね役に立つ)。大陸の番組は日本人の肌に合わないものも多いが、台湾や香港のものもあるので、とにかく無理なく見られる番組を見つけてひたすら見続ける。僕の場合、台湾の「WTO姐妹会」、大陸の「舌尖上的中国」「金星秀」が肌に合った。見ていてストレスにならないというのはとても重要だと思う。

テレビ視聴は学習の手法であると同時に、中国という日本とはだいぶ違う国の一側面を除く機会になるので、手段&目的が同時に達成できてとても良いです。

とにかく中国人と話す

インプットだけでは現地サバイバル力のある語学力には全くつながらないので、アウトプットも心がける。学校や家庭教師利用でもいいが、分量がかなめになる以上コストがかさみすぎるので、教育産業エリアの外で中国人を見つけるほうがいいと思う。一般的に垣根の低い人たちなので、中国雑貨や中華料理店をはじめ、適当に連絡先を交換して友達になったりすることも難しくはない。僕の場合は初回に渡航した際に得た数少ない知人と話すことでアウトプットの分量を解決した。

試験勉強をする

ただ聞いて話しているだけだと「分からない単語、表現」は基本的に永遠に分からないままなので、座学の機会を確保する必要がある。テレビを見ながら都度都度辞書を引くのが一番いいが、寝ながら見ていたりと必ずしもそこまでの気合が保てるとは限らない。ここで中国語の試験が役に立つ。中検よりHSKのほうが無駄な学習項目が少ないので、中堅ではなくHSKが良いと思う。(中検は四声の暗記や過度に文学的な文章の読解などが含まれ、もちろん大事なのだが、海外日常生活という意味では直接的な実践性に欠ける)

こんな感じで、帰国から2年ちょっとぐらいで6級で223点を取得し、「リトライする基礎」はできたかなというところに到達した。

 

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(Hの後の数字が級を示す)

TOEFLと同じでこれはエントリーチケットに過ぎないが、転職やらなんやらでパッと説明するときにも役に立つし、総体の学習法としてもこのやり方で正しいトラックに乗っているな、という感じはする。

27歳段階での(文字通りの)トライ&エラーを無駄にしない

最初の海外就労は確かに失敗したが、中国に関連する活動をあきらめなかったことで、まずは「中国語」へのとっかかりを得ることはできた。無謀な選択の遠回りな結実ということができると思う。面白いのは一度失敗が確定してからのほうが能力が伸びているということだ。
選択、特に「決断」と美称されるような判断はできることならしないほうがいいと思っているが、食指が動く方向へのアクションは多少無理やりに見えてもする価値はあるかもしれない。そう信じて今日も中国語を話して暮らす。